あしあと

すきを見て更新再開したいなとは思う

楽聖少女2

楽聖少女2 (電撃文庫)

楽聖少女2 (電撃文庫)

あらすじ

”交響曲の初演成功から数ヶ月、ルゥはスランプに陥っていた。新作の曲が革新的すぎて既存のピアノでは弾けず、新楽器の開発も行き詰まっていたからだ。そんな折、フランス軍がウィーンへ進攻。僕はついに魔王ナポレオンと相まみえる。そこで知るのは、魔王のあまりにも意外な素顔と、この歪んだ十九世紀世界の秘密の一端。そして僕らの前に現れる、不吉な銃を操る若き音楽家。「俺がナポレオンを殺る。邪魔するな」復讐に燃える彼の背後には、悪魔の影が…。絢爛ゴシック・ファンタジー、第2弾。”

 

引用

"「ここまで言ってわからないのかい、きみに芸術家ゲーテの魂が欠片でも残っていればあり得ないんだよ、満たされるなんて!」

「なぜぼくらが歌を、詩を、物語を創ると思うんだい?絶対に満たされないからだよ。いずれ喉が灼かれ血が腐ると知っていながら海水で渇きを癒そうとする漂流者のように、ぼくらは永遠に満たされないがゆえに創り続けるんだ」"

 

 この時のルゥの言葉にひどく納得し、落胆した私がいました。

 私がライトノベルをはじめ、物語としての小説に耽溺しているのは、自分には無い何かを、現実にはない何かを求めるためであると自覚しています。それは転じて、現実の生活では満たされない”渇き”を潤すため、なのです。それを改めてルゥの言葉で気付かされたと同時に、物語を”読む”だけで満たされてしまう程度の”渇き”なのだという事実にも気づかざるを得ませんでした。

 故に、私はこの作品を一言で言い表すことが困難ではありますが、こういうしかないのでしょう、とても面白かった。憎たらしい程に面白かった。作り手と読み手の間で悩む人への道標となるような作品であると思います。

 

 それと「創る」という言葉は芸術を生み出す人のための特別な字のように感じます。「作る」でも、「造る」でも無い、心にある渇きを他人に五感で表現にするための行為。私にはそれが「創る」という字の在り方なのだと思うのです。

 

 

……と新聞の書評のようにやってみましたが、これは書いていて楽しいですね。後に黒歴史化しそうですけど。

 

 さて、これ以降はいつも通り、ネタバレ込みの感想を収納しておきます。

 

 杉井光×岸田メルの新シリーズ第2巻目。音楽を題材にした「さよならピアノソナタ」から繋がる杉井光の音楽知識はそちらの方面に全く興味が無かった人さえ惹きつける魅力がある気がします。それに音楽知識が全くなくても普通に楽しめるのは、流石杉井さんだな、と。音楽知識があるとどうなるのかわかりませんけども、そこんとこどうなのですかね?

 

 んで、今回の軸となるものは「悪魔」という存在なのではないかと感じました。ユキに憑くメフィ以外にも、ナポレオンに憑くポリーヌ、カールに憑くザミエルという悪魔が出て来ました。それぞれ求める欲望は異なれど、自らのそれのためならば手段を選ばない彼ら。しかし、その手段は”これ”と決めた人のために行われるものなのでしょう。例え、それ以外の人に悪魔の力を使おうともそれは全て最初に憑いた人のための行動に繋がっている、それが全ての悪魔という存在の行動規則なのかはわかりませんが、少なくともメフィストフェレスはそのように見えました。絆というには曖昧かもしれませんが、この巻でユキとメフィの間に何かが生まれたような気がします。

 

 しかし、やはりと言うべきか主人公のユキは実に杉井光らしい主人公です。家事等がそつなく出来るのもそうですが、物凄く優柔不断で、誰かに背中を押されて走れるようになる辺りが、それからは何も恐れないで全力で進めてしまう姿が、とてもそう思います。まぁ、それがストーリーに起伏を作り、面白いと言えるのでしょう。そしてそれをを読んでいると「あぁ杉井さんの作品を読んでいるなぁ」と何か安心した気持ちになります。はい、完全にファンですね。カールさんほどじゃないです。

 

 それにしてもメフィじゃないですが、赤毛ロリ……でなく、ルドヴィカ可愛い。ボクっ娘素晴らしい。何が良いって全てに全力なのが良い。恥じらうのも全力ですからね、すげぇからかい甲斐があるでしょ?……いかん、メフィに毒されてる気がする。新キャラのナネッテさんやザルツブルク闘魂烈士団(これが楽団の名前なんだよなぁ……)も良い性格をお持ちのようで読んでて楽しくなりました。この中の誰かしらいると主人公のツッコミ上、テンポ良くなるんですよね。

 

 

 以上、こんな感じで。全然まとまってないので、脳みその中身をそのまま文章化したレベルですが、ご容赦下さい。読みにくいのは許して下さい……。

 次は電撃の新刊辺りかなぁ。では!